凡庸京大生の自由帳

京大卒ニートの自由帳

サブブログ。こちらでは個人的な事しか書きません。日記・つぶやき。

何の仕事をするにしても他者から評価を受けなきゃいけないという悲しさ

生活保護、ヒモ、親の脛かじりニート

恐らくこの3つのどれかを選ばない限り、全く働かずに生きるというのは不可能でしょう(資産があるという前提は別)。

 

働いてお金を稼ぐ方法としては、会社などのどこかしらの組織に所属して組織のために働くか個人で稼ぐという二択が主だと思います(というか本当にこの二択しかないんですかね...生きるの難しすぎないですか)。

 

最近よく働くということについて考えています。

 

自分がなぜ働きたくないかについては、人と話したくない・関わりたくない、移動したくない、朝決まった時間に起きたくないなど理由は沢山でてきます。

 

しかし、それらは職種によっては避けられることです(人と全く関わらないっていうのは流石に無理だろうけど)。

 

もっと確信的・本質的な理由があるはずだということで前に思ったのは、単純に自由時間が奪われることになる時間的拘束に耐えられないから、ということです。

 

自分の意思で行動できない環境に対するストレス耐性が著しく低いです。

 

しかし理由はそれだけではありませんでした。

 

改めて働きたくない理由について考えた結果、人からの評価を受けたくないという気持ちが含まれていることに気づきました。

 

高評価・低評価に関わらず、人から評価を受けるということにとても抵抗を感じます。

 

組織で働くにせよ、個人で働くにせよ、他者から評価を受けるということは共通です。

これは何があっても絶対に避けられないことです。

 

そして働くということは、この避けられない事と対峙しなければならないということであり、この当たり前のことが割りと重いストレスになるだろうなと想像されました。

 

 

評価を受けるということは、程度の差はあれ他者からの期待や失望からくる良し悪しの判定結果が返ってくるということです。

 

低評価が心地よくはないというのは殆どの人がそうだと思いますが、高評価もよくよく考えたらしんどいです。

 

高評価を受けるというのは、自分に対する期待値や信頼度があがるということです。

次の成果のお披露目時にはその眼差しが向けられることになります。

 

見えないプレッシャーです。

他者からの評価を受けないでお金を稼ぐ方法ってなんかないですかね。

 

 

少し考えて思ったのが、他の生き物のためなら頑張れる気がするということ。

 

例えばカブトムシをできるだけ長生きさせる方法を考えるとか。
でもカブトムシはお金払ってくれないしなぁ。

 

まぁそれもどうせ途中でめんどくさくなって投げ出すか...

 

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