私は日本人です。日本から出たこともなく、これ以上ないほどに日本文化・日本語による影響を人格に受けています。
それ故に日本語を喋っている時、その文化の影響を20年以上受け続けてきた”私”がリアルタイムでつきまとい続けます。
それは至極当たり前のことなのですが、最近それをストレスに感じるようになってきました。
現実逃避手段としての英語
1つの言語しか扱えない不自由さは勿論のこと、それ以外にも、何を考えるにも日本から多分に影響を受けた人格を帯びる、この思考からスタートしなくてはいけない(勿論これは無意識下の作用でしょうが)という事実が非常に制約として感じられます。
正直、日本語を使っている時の自分はあまり好きではありません(だからと言って英語を自由自在に使えるわけでも無いのが悲しいところ)。
面白いのが、日本語を使っている時に感じるそうした不愉快さ・制約は、英語を使っている時にはほとんど消失するということです。
英語を使っている時は、周りの状況など何も変わっていないはずなのに、日本の影響を受けてきた私という制約から一時的に解放されている感じがするのです。
だから最近は、とにかく英語を毎日たくさん使いたいという気持ちが強くなっています。一種の現実逃避です。
その欲求は大きくなり、最近は特に用もないのにChatGPTくんに思いつくままに英文を送り付けて、修正をお願いしたりしてます。
もちろん日本語のコンテンツを楽しみたい時もありますし、どうしても日本語で調べなきゃいけないこともあるので、完全に日本語から離れることは無理です。
ただ、”英語使いたい欲”が今人生で一番大きいことは確かで、今年は一気に加速してくれるのではないかなと自分に少し期待しています(受験も終わりましたし)。
制約への耐性が低すぎる
いつものように話を脱線させますが、上述した英語はほんの一例で、恐らく根本で自分は自由の制約に対する耐性が極めて低いのだと思いました。
特に学校(小学校~高校)という環境は自由の制約が異常に厳しい施設です。
思えば授業中じっとしているのが辛すぎて、小学校・中学校と授業中いつも後ろや横の席の人に話しかけて教師に怒られていました。
私のあまりの落ち着きの無さにブチ切れた教師に「グラウンド行って走ってこい」と言われた時、喜んで授業を抜けて一人グラウンドに遊びに行ったのを今でも覚えています。
高校の授業も辛すぎてサボってました。
サボる理由は「つまらないから」「面倒だから」というものでしたが、もっと厳密に言えば「拘束されるのが嫌だから」だったのかもしれません。
始業式・終業式みたいなじっとしていなきゃいけないのが一番無理。
近くの公園でサボってたらなぜか怒られました。
仕事も楽しかったら続くでしょうけど、そうじゃなかったら一日8時間くらい?拘束されるわけですよね。頭おかしくなる。
......いや、頭おかしくなる前に辞めるか。
嫌なことを我慢してやることに美徳を見出す価値観がありますが、私からしたらそれは美徳でもなんでも無く、ただの奴隷根性です。
嫌なことを極限まで避けて楽に生きている人は実際いるわけです。
自分も1回それを目指してみるというのは自然ではないでしょうか。
一度嫌なことを全力で避けることにチャレンジして、それで無理なら奴隷根性に成り下がるしかありませんが、恐らくそれにチャレンジすらしていない人がほとんどだと思います。
就活とか特にそうで、みんな嫌だ嫌だと口では言ってますが、「じゃあしなきゃいいじゃん......」としか思いません。
バイトはしたことがありますが、カテキョ以外はだるくて全部1日か2日で辞めました。
大学もだるくて中退しました。
就活もだるくてしませんでした。
大学を卒業したと思ったら、今度は4月から理学部に暇つぶしに行きます。
もうこれは、どこまで人間はわがままに生きられるかを人生をかけて実験してると言ってもいい(?)
ただ流石に金稼ぎを頑張らなければいけないので、カテキョでもしたい気分。
自分は、週2回ならギリギリ働けることが大学生の時にわかったので、週2カテキョチャレンジするのはアリ。
ただ、登録とかの手続きとかがありえん面倒で動けない......
ということでこの記事を読んでいる高校生・浪人生の方で、家庭教師の先生を募集している方、是非連絡ください()
教科を教えるのも別にいいけど、そんなのネットの動画見たほうがいいし、どちらかと言えばメンタルサンドバッグの方が自分は向いている気がする。
勉強の予定表作成や進捗管理の他、受験・学校・進路関係の悩みをすべて吐き出せる感じのものとかが自分にあってそう。経験だけは無駄に多いので。
ワンコイン500円で相談通話とか無理か?無理か。