凡庸京大生の自由帳

凡庸京大生の自由帳

サブブログ。こちらでは個人的な事しか書きません。日記・つぶやき。

僕もChatGPT API使ってみた!

こんなの作りました(一般公開はしてません)↓

 

LINE上でChatGPTと英会話してぇ~と思ったのでちょっと手を動かしてみました。

 

せっかくなら相手の返答もボイスメッセージにしたかったんですけど、色々面倒で諦めました(技術的には可能です)。

 

そもそも返答をボイスメッセージにしたとしても、LINEの仕様上、結局メッセージの再生ボタンをポチポチ押さなきゃでそれだと英会話感ないよなぁ...とか考えてたら「うーん、もうええわ!」ってなりました。

 

ボイスメッセージを使うっていうのは結構面白いと思ったんですけどね。

誰かこのアイデアパクってもっと面白いもの作ってくれないかな。

 

 

さて、このChatGPTですが本当に時代が変わってるんだなということを感じさせます。

今までのチャット系のサービスと明らかに格が違います。

 

2022年はStable DiffusionとChatGPTで二度驚きました(他にも色々あるんだろうけど)。

 

シンギュラリティは2045年って言われてましたけど、絶対それより早いですよね。

 

 

よく言われる、人間の仕事がなくなる問題については知りようもないですが、雇用は減少すると思います。

 

新しい仕事も生まれるでしょうけど、それに必要な人間の増加数よりも、既存の仕事に必要とされる人間の減少数の方が大きい気がします。

 

一回こういうのが世に出ると、その分野は線形ではなく指数関数的に発展していくものだと思っているので、もう5年とかで色々ガラッと変わってそう。

 

 

社会がどう変わっていくのか、ニートとして低みの見物していこうと思います。

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お引越しの準備をしています

お引っ越しの準備を着々と進めています。

 

本を数えたら全部で400冊くらいあって、それを少しずつ実家に送る作業をしてました。

現在は10冊程度しか残っていないので私の部屋は非常にスッキリしています。

 

いらないものもいくつか売りました。主にメルカリで。

 

自分で包装するというのが面倒すぎて、メルカリで何かを売ったことはあまりなかったのですが、今回の引っ越しでいくつか売ってみて「これで数千円手に入るならいいかも」ってなりました。

 

数百円のものを売るってなったら流石に面倒の方が勝つかも知れませんけどね。

 

ちなみにメルカリ登録してなくてこれから利用しようという方は、招待コードに「RFBAGB」を入れてくれたら自分とあなたに500円入るのでよろしく(乞食)。

 

 

それから先日、ピアノを売ってきました。

 

実家に帰るまでピアノは弾けません。

今まで手持ち無沙汰の時はとりあえずピアノを弾くって感じだったので、それが無いというのは不思議な感じがします。

 

うつ病から自分を救ってくれたピアノくんとおさらばすることで非常に悲しい気持ちに...はなりませんでしたが、大学生活を少し思い返すきっかけにはなりました。

 

 

ピアノくんの最後のお仕事は、自分のYouTube動画への出演でした。

 

耳コピについての動画を作りました。このチャンネルで出す内容じゃないだろ...って感じですが、きっと未来の数人の役には立つでしょう。

 

最近はYouTubeメインブログの更新をそこそこ頑張ってます。

 

YouTubeに関してはブログ同様、受験系のコンテンツが伸びるんだなぁと大方予想通りの結果ですが、私自身が受験に興味が無さすぎてどうしようって感じになってます。

 

てかサムネ作るのムズすぎるだろ。

 

補色・配置・フォントとかその他諸々の関係を体得してサムネ作成法みたいなの体系化したいとすら思えてくる。

 

 

また話がそれた。

とりあえずもう少しで京都くんとはおさらばです。

 

どこか1ヶ所くらい、今までに行ったことない観光地に行こうかな。

 

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あぁ〜!ネットの音ォ〜!!

 

むかーしむかし、ネットに接続と言えばこれでした⇩

ダイヤルアップ接続です。

PCと家庭電話をケーブルで繋いで、インターネットに接続していたのです。

 

私は世代では無いと思うのですが、恐らく地域的な問題でしょう、幼い頃にこのダイヤルアップ接続でネットをやっていた時期があります。

 

このビヨーンビヨーンという音良くないですか?

「これからネットに接続するぞ!」という気持ちに毎回なってた覚えがあります。

 

 

とても懐かしい気持ちになるので、たまにこの音を聞きます。

 

 

ダイヤルアップ接続は電話回線を利用しており、ネットを繋いでいる間は確か電話が使えなかったはずです。

 

親がいない時を狙って、固定電話までケーブルを引いてこそこそネットに接続していました。

で、電話代がとんでもなく高くなって親に怒られるまでがセットです。

 

ネットで調べたら同じような人がいて「やっぱりそうだよね...」ってなりました。

 

 

当時、ネットに接続するというのは、誇張抜きに”別世界へ飛び込む”ものでした。

しかし今はその感情は消え、日常にネットが溶け込んでいます。

 

ネットをやっていること自体が根暗(当時陰キャという言葉はほぼ使われてなかった)というイメージが昔はありました。

 

今はネットをやっていない人を探す方が難しい。

 

 

ネットがインフラと化す中で、現実世界の価値観もネットに流入し、あれよあれよと色々な規制がされていきました。

 

別に全面的に「昔はよかった」というつもりはないですが、あの時のネットはもう戻ってこないんだと思うと悲しい気持ちになりますね。

 

私にとってダイヤルアップ接続音はその悲しみを誘うものです。

 

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英語ができないってはっきり言って終わってないか?

自分は英語が苦手です。

特にリスニングがいつまで経っても自分の理想レベルになりません。

 

恐らく語学に関しては本当に才能がなく、人より何倍も努力しないとダメな分野であると認めざるを得ません。

 

大抵のことは少しやれば割りとすぐにそこそこのレベルに行ける自分(自慢のようですが、その一方で頭打ちが来るのも早い)とこれまで生きてきたので、こんなに上達しないことがあるのかと驚いています。

 

過去にTOEICのための勉強をしたときに、リスニング力はたしかに上がりました。

しかし、やはりTOEICなどの教材の中の英語と本物のネイティブの英語は大きな隔たりがあります。

 

自分は自然体のネイティブの英語を聞き取れるようになりたいのです。

でもそれができるようになる未来が見えない......

 

 

たまに、英語の必要性に対する反論として「別に英語ができなくても困ってない!日本人だし!W」というのが見られますが、英語ができる世界を知らないんだから「それはそう」という感じ。

 

スマホがない時代に「スマホがなくても別に困ってない!」とは人間言わないわけです。

勉強してこなかった人間が「勉強なんて何の役にも立たない」というのもそれ。

 

 

言うまでもありませんが、英語ができれば得られる情報量が今よりはるかに多くなります。

 

プログラミングなんて、日本語で検索しても欲しい情報が全くでてこないのに英語で検索したら沢山でてくるなんてことは頻繁にあります。

 

論文もたいてい英語(特に自然科学は)。

 

まぁテキストはDeepLを使えばいいのかもしれません。

しかしリスニングはどうでしょうか。また、ネイティブと直接会話となるとどうでしょうか。

 

 

最近、英語ができないことで自由を束縛されているといった感覚にひどく苛まれます。

特に日本語しかできないと、日本語を喋れる人としか話せない(当たり前)っていうのが悲しすぎる。

 

 

ちなみに自分は海外に行ったことがありません。

お金があってかつ外国語ができたら行ってみたいと思うような国はあります。

 

お金の方はまた別問題ですが、外国語が出来ないことも自分にとってはかなり大きな障壁となってしまっています。

 

 

基本的に多くの国では、あらゆる説明書きに対して現地の公用語プラス英語が書かれているはずです。

すると、ネイティブの英語話者は普通に生きてきただけなのにも関わらず、あらゆる国へ旅行するためのハードルがノンネイティブよりも遥かに低いことが予想されます。

 

普通に生きてきただけというのが羨ましすぎる。

 

普通に生きてきただけで、英語でネット検索ができ、英語の記事をスラスラ読めて、YouTubeなどでネイティブの話す英語を苦なくほぼ100%聞き取れる...

 

一体どんな気持ちなんだろうかというのを結構考えたりします。

 

 

英語は数年前に「うん、英語は無理だ。諦めよう」となったのですが、やっぱり諦めきれない自分がでてきました。

 

とりあえず、TOEIC勉強のときにやっていた、ネイティブの会話をできるだけ忠実にモノマネするという勉強を再開しようと思います。

あれやると英語のリズムにだいぶ慣れる気がする。

 

 

という感じに、最近語学のことを考えていたのでYouTubeの動画もそれに関連したことを話しました。終わり。

 

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単位取れた!京大ありがとう!⇨ニート、そして無敵の人へ

 

成績がでました。なんか例年より早い気がするけど四年生だからなんですかね。

 

一応単位は全部取れてました。卒論も認められたみたいです。

これ卒業ってことでいいんですかね。未だに大学のシステムがよくわかっていない。

 

「卒業確定!おつかれ!」くらいの文章がどこかに書いてあったら分かりやすいんですけどね。

 

大学生活まとめ的なのは正式に大学卒業したときにどっかで書こうと思います。

とにかく今はホッとしている気分。

 

2度の大学中退を経て、3度目の大学入学で流れ着いた京大ではストレートで卒業です。

圧倒的感謝。

 

 

ただ少し意外だったのが、卒業が確定しても、嬉しいという気持ちがあまりないということ。

 

今後は、学校入学、就職、昇進その他諸々のイベントが発生することがなく、人生に起伏があまり生まれないだろうということから、そういう気持ちになっているのかもしれません。

社会から隔絶された生活を送っていくことになります。

 

就職して働くなど自分には無理であることからも、その生活自体は自分が望むことであり問題はないのですが、1つふと思ったのは自分はいつか無敵の人になるのではないかということ。

 

犯罪はコスパが悪いのでしませんが、そのコスパの計算は結局、その時の当人が置かれた状況によります。

 

恐らく家族や恋人がいる人は無敵の人にならないのだとは思いますが......

家族という存在

家族という形態にそこまで思い入れがありません。

というかむしろ微妙に自由を束縛する厄介な存在にすら思えてきます。

 

実家ニートができるのは親のおかげであり大変ありがたいと思う反面、正直あんまり人と話したくないし生活保護でどっかでひとり暮らしのほうが良くね...とすら思えてしまいます。

 

親に子供を養う気さえなければ、扶養は別に切れていなくても生活保護は受けられるんですよね。多分。

県によって受給基準の厳しさが違ったりするっていうのは、実際に働いている人から聞いたことあるのでなんとも言えないですが...

 

生活空間に誰かがいるのがきつすぎる。

高校までずっと家族と住んでいたのが信じられない。

 

大学入学後、ずっと一人暮らしして、実家に帰りたいと思ったことが一度もない。

恋人という存在

中高大を通じて、何人かの異性と付き合ってはきましたが、結局恋愛の面白さはよく分かりませんでした。

実際、割とすぐお別れしてました。

 

自分の時間がどうしても減ってしまうことに耐えられないし、なにより自分以外のことを考えなければならなくなるのがしんどい。

 

というか「彼女欲しい」って言ってる世の男性に問いたいんですけど、彼女欲しいって本心なんですかね。

絶対セックスしたいだけだろって思っちゃうんですけど違うんですか?

 

 

正直、性欲を解消する相手さえいくらかいれば恋人なんていらないと思ってしまうので、そういった関係は維持するようにしてきました。が、最近はもはやそれすら面倒くさい。

 

性欲自体本当にしょうもないものだと思っているのですが、その性欲を解消するという行為のためだけに、人と会って会話をしなければならないということが苦痛で仕方がない。

 

というわけでいよいよ異性と関わる理由もなくなってきました。

恐らくこの先恋人を作ることはもうないでしょう。

 

結婚なんていわずもがな。

ただの学生同士の恋愛でも面倒なのに、それにギャンブル性が加わった結婚とか高難易度ゲームすぎる。

人生は長かったり短かったり

というわけで、家族や恋人といった概念への指向が自分にはないので、そういった意味では無敵の人への条件が揃いつつあると、できるだけ自分を客観的に見た感じ思いました。

 

自分は将来絶対犯罪をしないなんて分からないとしかいいようがない(まぁでもこれはみんなそうか)。

 

もう本当に人生こんなふうになるなんて全く予想してなかったので、未来の自分が信用できなさすぎる。

 

山月記』の中で、「人生は何事をもさぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い」という文章があります。

 

もう本当にそれとしかいいようがない。

 

なんでも大体そうですが、自分のやりたいことをやるためには、その前段階・準備段階としてやりたくないことをやる必要があるんですよね。

 

で、自分は努力ができないので、いつまで経ってもやりたいことをやれる段階まで行けない。

 

 

というかなんでこんな鬱々してるんだったっけ。

 

1人で生きるためにはお金を稼がなきゃいけないことに社会がなってる

⇨あまりに無理ゲーすぎるから諦めたい

⇨本当に追い詰められたらこれ無敵の人では?

 

こんな感じのことが頭の中でぐるぐるしてる気がする。

 

 

最後に全く関係ない話で終わりますが、春休みはYouTubeの更新をしてみるつもりです。以上。

 

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英語と中国語とドイツ語と

最近ドイツ語を始めました。

といってもDuolingoでポチポチやってるだけですが。

 

Duolingoは文法などの説明はほぼありません。

問題を解きながら自然に文法や単語を身につけようというスタンスです。

 

意外とそれが楽しかったりするのですが、勉強が進むにつれて「この場合のここはどう変化するの?」といったような疑問がでてきます。

 

 

というわけで一応テキストも持っておくことにしました。

初学者向けの本を調べ、『ドイツ語のスタートライン』という本を買いました。

 

中身を見て、カタカナで発音表記がなされていることに気づき「大丈夫かこれ?」となってしまいましたが、まぁ文法ちゃんと説明してくれてるならいいか...ということで。

 

しばらくはDuolingoのみで勉強すると思いますが、そのうちテキストも並行して進めていこうと思います。

 

 

 

ちなみに大学での第二外国語は中国語でした。

例のごとくすぐ不登校になり、全然まともに勉強しませんでしたが、それでもいくらかは覚えています。

 

補語?が出てきたあたりで「めんどくさ...」となった記憶があります。

 

ただし中国語は冠詞や格変化がありません!強すぎる。

あと疑問文の作り方も簡単です。

 

 

疑問文に関しては、ドイツ語も簡単な部分があるかもしれません。

Er (He)  spielt (plays)  Fußball (soccer)を疑問文にする場合、Erとspieltを交換するだけです。

英語だとDoes he play soccer ?とDoesが増えてplaysが原形になりますよね。

 

ドイツ語良い!と思ったりもしましたが、ドイツ語は英語よりはるかに格変化が激しいです...まだ文法やってないけどその片鱗がもう見えます。怖い。

あと名詞の性ね...

 

 

一方で、ドイツ語の素晴らしいところはスペルと発音が一致するところ(例外はもちろんあるがかなり少ないらしい)だと思います。

言語学習においてこれはありがたすぎますね。

 

 

英語と中国語とドイツ語の3つだけですが、それらに触れた結果、冠詞や名詞の性が無く、格変化もせず、スペルと発音が一致し、ついでに疑問文が日本語くらい簡単な言語があったらいいな!と思いました。

 

 

......いやそれほぼほぼひらがな(カタカナ)表記した時の日本語ですやん

 

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2022年の振り返りと2023年に対する願望

 

京都雪降りました。寒い寒い。

2022年振り返り

普通に前半とかほとんど覚えてないよね......

 

日記を見る限り、大学以外の活動に関しては、プログラミングをちょこちょこやってたらしいです。

友人とハッカソンに出たり、webアプリ開発進めたり(ちなみにこれ未だに完成してない)してました。

 

 

去年の投稿には「(2022年は英語の)リスニングができるようになりたいです」と書いてあります。

 

まぁ以前よりはできるようになったけど、YouTubeとかのネイティブの会話は、話者によってはほとんど聞き取れません。

早すぎて一生聞き取れるようになる気がしない。

 

 

大学は前期も後期もとにかく頑張りました。

頑張ったら4年でギリギリ卒業できることに気づいて、それなりに考えて単位を割り振りました。

 

前期は最後ほとんど不登校状態だったけど課題ちゃんと出せて偉かった!

 

後期も3コマくらい途中から出なくなったけど、今のところテストも受けてるしレポートも出せています。残りはレポート1つと試験が1つ。

 

 

卒論もなんだかよく分からないうちに書き終えて提出しました。

かなり出来の悪い卒論だったけれど、正直、後期10コマくらい入ってる中よくやった方だと自分を褒めています(というかこれらは2023年の話か)。

2023年に対する願望

単位も足りて、卒論も認められたら卒業ということになります。

いよいよ実家ニート生活が始まります。

 

1日の全ての時間が自分に使えるということになり、いくらでもだらけられる状態になるのはある意味では怖い。

 

本当に色んなことに興味があるけれど、飽き性でコロコロ勉強することも変わっちゃうので、頑張りたいことをいくつかに絞らないと全部中途半端になりそう。

 

・Web関連

直近では取り敢えず友人とやってるWebアプリを完成させることが目標。

そのあとプログラミング、というかWebのお勉強を真面目に始めたいです。

 

プログラミングって趣味としてかなり優秀だと思う。

 

・音楽関連

音楽の勉強。大体のことを2~3ヶ月で飽きてやめてしまう自分が、ピアノに関しては3年くらい続いています。

適当に耳コピして適当に弾いているだけなので、体系的に勉強してみたい。

 

作曲自体にも興味はあるけど、作曲ソフトのあれこれが面倒くさすぎて腰が重い。

未来の自分に期待。

 

・物理学とか

後期授業の開始により、以前始めた物理学の勉強が止まってしまっているので再開する予定。

 

あと大学で統計学を学んで本当に魅了されたので、もう一度自分で勉強して理解しなおしたいです。様々な統計的分析手法を知りたい。

 

あと英語も頑張ってくれー

 

......と言いつつ自分の脳力的に、この時点でもう「お前そんな色々できないだろ」って感じがする。

 

・読書

読書、大事。

いろいろな分野に興味があるとは言っても、多くの場合、新書・文庫本などを読むに留まるのだろうと思います。

 

とにもかくにも読書の習慣を取り戻したい。

 

・ブログとかYouTubeとか

メインブログの方のネタは思いついたときにメモしているのですが、気づいたら100個以上ネタが溜まってました。

 

こっちは日記なので何も考えずに書いていますが、あっちはそこそこまとめて書きたいという気持ちがなんとなくある。

そしてまとめるという作業が苦手なので書けないという。

 

YouTubeくんも実は結構ネタを考えたりしてるのですが、「こんなの誰が観るんだ...」という気持ちと動画を作ることの面倒くささが動画投稿の気力を妨げています。

 

毎日投稿のYouTuberとか化け物すぎる。

 

 

ところで、多分YouTubeってShort動画の方が伸びやすいんですよね。

自分も普通の動画は多くて4桁再生止まりですが、Shortの方は3万再生くらいされてました。

 

Shortを観てくれた人を動画に誘導するとかがいいのか?とか考えましたが、なんでそんなビジネスみたいなこと考えてんだ...という思いにもなりました。

要は面倒くさいと。

 

 

自分がコンテンツになるよりも、自分の作ったツールや娯楽などがコンテンツに成る方が嬉しいと感じる気がします(その体験はまだほとんどしてないけど)。

 

ブログと同じ感じにするのではなく、動画ならではのことが出来たら楽しいのかもしれませんが......まぁブログもYouTubeも気が乗ったときに一気にやる感じで。

 

 

 

パッと思いつくのは以上ですかね。

 

まだ大学は終わったわけではないので、最後まで気を引き締めて走りきろうと思います。

春休みになったら具体的に動く...動いて欲しい。

 

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