Twitterのアカウントを作りました(こちら)。アカウント作成はもう何度目かわかりません。
自分はTwitterが嫌いです。じゃあなんでアカウント作るんだよってなると思いますが、まぁ一種のチャレンジです。
アウトプットの場としてTwitterを活用しようと思いました。
たとえフォロワーが0人であろうとTwitterでアウトプットすることにデメリットは無く、少なからずメリットがあります(後述)。
メリットがあると分かっていながらTwitterをやらなかったのはTwitterが嫌いだからですが、もっと厳密に言えばここ数年で自分の「人嫌い」がネット世界にも拡張されてしまったからであるということになります。
人嫌い=人との関わりが嫌い
「人嫌い」とは、多くの場合「人との関わりが嫌い」ということではないでしょうか。
少なくとも自分はそうです。
自分の場合、人間それ自体は恐らく好きです。
大小問わず何らかのコミュニティの秩序が保たれている状態、また秩序が保たれるための諸条件などは多様で面白く、興味のひかれるものです。
また人間の身体機能にも興味があります。
知れば知るほど不思議で、特に人間の脳の複雑さには驚かされます。
ただ、ここでいう人間が好き、というのは水槽で泳ぐ金魚を見るのが好きというようなものであり、人間と相互的に関わることや、他者から何らかの作用を及ぼされることは嫌いです。
これが「人嫌い」です。
人間って個体差が大きすぎて行動が予想できなさすぎるし、何考えてるかわからないし、そのくせ言語で以てある程度は意思疎通を試みることができてしまうし...
分からなすぎて気持ち悪いしイライラするんですよね。
人間と関わる時に考えることが多すぎて脳が疲弊します。疲れるのは嫌いです。
そのような人間という存在と積極的にコミュニケーションを取りたいと思う人の気持ちは一生かかっても理解できないと思います。
そういうわけで現実世界ではできる限り人と関わらないようにしようとしてきました。
こうすると何がいいかと言うと、毎日の思考の中の登場人物が自分以外現れません。
自分の人生なのに、自分の思考に他者が介入してきたり、ましてや他者のことで悩むなど絶対に嫌であると強く感じます。
他人に時間を割くということが無いのでストレスフリーに近づけるのです。
ネットの常に人があるという感覚が苦手
前までの自分は現実世界では極力人と関わらないようにしていましたが、ネットの世界では頻繁に人と交流していました。
主にTwitterで同年代の人達と毎日のように関わっていましたが、ここ数年くらいでそれも無理になりました
そのアカウントは1300人くらいフォロワーがいたので、消すのは勿体なかったなと後悔していますが、今振り返ると現実世界で耐えられなかった、人と関わることへのストレスがネット世界にも拡張されていたんだと思います。
アカウント削除に踏み切った大きなきっかけがあったわけでもありません。
そもそも自分はTwitterのアカウントやLINEのアカウントを衝動的に消してしまう癖があるのです。
Twitterのアカウントリセット?(アカウント削除➜新しく作り直し)は何度したかわからないほどしました。
LINEのアカウントも3回くらい消しています。
ネット(特にSNS)は常に人とつながっている感覚をもたらします。
冷静なときにふと、人とつながっていることがストレスとして襲いかかるのです。
それに加えて、Twitterのような不特定多数の人の発言が短時間に大量に見えてしまうものは大きなストレスとなりました。
人間1人の反応に対する処理でも大変なのに、大量の人間の発言は脳が処理しきれませんでした。
相互的に関わっているわけではないですが、いくつもの人格を帯びた文章が自分になんらかの作用を及ぼしてきます。
「なんでこんな考えをするんだろう」「なんでわからないんだろう」という反応を1ツイートごとにしてしまって頭がおかしくなりました(「考えなければいいじゃん」とはよく言われますが思考が止められないのです)。
YouTubeのコメント欄もそんな感じでめちゃくちゃイライラしてしまうことが多いです。
面白いコメントやためになるコメントもあるのでつい見てしまいますが、苛立たしいコメントの方が圧倒的に多いですね。
このような、人格を感じるものが自らに作用を及ぼしてくることへの忌避が歳を重ねるごとにどんどん強くなってきているのを感じます。
人格を構成するパラメータ群は1人として同じことは無いので、現実世界でもそれへの処理は大変です。
ネットはその人数が現実よりはるかに多いわけで、自分にそれらへの耐性はありませんでした。
じゃあネットなんかやらなければいいじゃないか、という話なのですが今の社会でネット活用を完全にやめてしまうというのは圧倒的ハンデを背負うことになります。
そのハンデを自分はまだ完全には受け入れられないのです。
特に、Twitterは素晴らしいネットツールの一つです。
Twitterで発信することの重要性
ネットへの耐性の低さはあらゆる可能性を極端に狭めてしまうことに繋がると強く感じています。
自分は将来就職するということを考えていません(考えられません)。
大学卒業後はほぼニート確定なのですが、いつまでもニートであるわけにもいかないでしょう。
可能であるならばいつかは個人でどうにかしたいと思っています。
なんらかの娯楽・作品・ツール...etc.を提供して生きていくというのが理想です。
それを目指す場合、言うまでもなくTwitterの拡散力は大きな武器になるわけですが、そこでネット適正の壁にぶつかります。
(取らぬ狸の皮算用感がすごいですが)例えばもしも奇跡的に自分が何かしら価値あるものを提供できそうだ、となった場合であっても、ネットの海にそれをさらけ出さなければ誰かにそれを認知してもらう確率は、ネットにそれをさらけ出さない場合に比べてとんでもなく低いでしょう。
「取り敢えずアウトプット」という精神は本当に重要だと思います。
そしてアウトプットの場としてのTwitterは非常に強いです。
アウトプットの成功サイクルとしては、特にここ数年で以下のパターンがよく目につくようになりました。
①TwitterやYouTubeで何らかのコンテンツをコツコツ発信
②支持してくれる人が増え、拡散される
③企業の目につき商品化
特に、「Twitterにオリジナル漫画投稿→出版社の目につき出版→アニメ化まで」という流れは本当によく見ます。
ここまで直接的にお金にならないとしても、例えばブログやYouTubeなどはアクセス数が多いほど収益がでるので、単純に1人でも多くの人に見てもらうことに価値があります。
また、Twitterに関して言えばフォロワーが少なくても拡散されれば多くの人の目にふれます。
勿論フォロワーが少ないと拡散される確率も小さいですが、確率は0ではないです。
事実、自分が以前使っていたアカウントで、あるツイートがバズり(1.8万RTくらいされた記憶)その影響で一時的にブログへのアクセス数が跳ね上がりました(ちなみにその時のフォロワー数は40人くらいだった気がします)。
一時的なアクセス数増加と言っても、自分のサイトに言及する人の数は増えるわけで、それによりドメインパワーが強くなるので、その後にも良い影響として残ります。
企業の方から案件をいただくこともありましたが、Twitterでのバズりがそれに間接的に関わっていたという可能性は否定できないでしょう。
そういったチャンスの存在を知っているのにも関わらずTwitterから距離をおいていたのは自らの精神の弱さ故です。
Twitterに伴う精神的苦痛がTwitterで得られるメリットを上回ってしまっていました。
できるだけフォローしない
前回のアカウントもどちらかと言えばアウトプットのために使っていました。
しかし、Twitterアカウント始めたての状態では、自分からいくらかフォローしないとフォロワーは増えません。
それ故、前回のアカウントでは最初に何十人かは自分からフォローしました。
そして、フォロバもそこそこの高確率でしていました。
それが失敗でした。
見たくもなたい or 見たいかもしれないけど自分のためにならないツイートが大量に目に入るようになってしまったのです。
そういうわけで今回はできるだけフォローしないようにしたいと思います。
そしてアカウント作成初期からそういう姿勢を貫いている場合、フォロワーは増えないということになります。
しかし、それでもいいと思っています。
たまたまあるワードで検索した結果、自分のツイートを見つける人というのは少数ですがいるはずです。
またTwitterでのツイートはブラウザでの検索にも当然引っかかるので、自分のアウトプットが見られる確率が少し上がります。
できるだけ人と交流せず、試したことや何らかの成果を淡々とツイートするアカウントを目指す所存です。
当然ながらそんな簡単に大層な成果を出せるとも思っていません。
しかし、ある段階の自分を自分で満足させられるくらいの成果は積み重ねていきたいです。そしてそれが結果としていつか誰かの目に止まれば一番いいです。
自分の需要を自分で満たす自給自足ライフはあこがれです。
YouTubeを観て1日の自由時間がほぼ消費されてしまうような受動的娯楽中毒や、賭け事や性行為などの一瞬の快楽の連続的摂取で人生を浪費することは避けたいです。
大学卒業後に本格的に色々考えて動くと思います(信じています)が、今から可能な限りできることはやっていこうと思います。