凡庸京大生の自由帳

京大卒ニートの自由帳

サブブログ。こちらでは個人的な事しか書きません。日記・つぶやき。

2021年の振り返りと2022年に対する願望

f:id:nagisaharu:20220101040509j:plain

2022年になりました。2022という数字の未来感がすごいです。

 

 

自分の中で2016年以降は最近、2015年はちょっと前という感覚があります。

 

でも2016年はもう6年前ということになるんですよね...時間が過ぎるのが早くて嫌になります。

 

 

新年は憂鬱です。人ともあまり会いたくありません(その理由はこっちで書いた)。

取り敢えず三が日はダラダラ過ごそうと思っております。

 

2021年振り返り

2021は比較的マシな年だった気がします。

2016~2018くらいの時期が過去最悪だったのでそれに比べればかなりマシです。

 

色々諦めると楽になるものです。

 

 

毎日日記を書いているのですが、日記で2021年を軽く見返したところ、ほとんどの日は大学の課題にヒイヒイ言っているだけでした。

 

 

2021年の序盤は、勉強したりプログラミングで遊んだりと少し充実していたみたいですが、夏休みでは思ったよりも勉強ができず、その後の後期でも大学でいっぱいいっぱいだったようです。

 

夏休みが終わってからは気がついたら冬になっていました。

 

 

大学入学前に定めた目標の一つに「自分の専攻した分野について1,2時間何も見ずに語れるようになる」といったものがありました。

 

これに関しては割と達成されそうなのではないかと思います。

 

 

数ヶ月に一回通話をする友人がいるのですが、その友人と大学の話になった際には、体系的な説明は無理にしろ、こういう研究があってこういうことが分かってる/分かってない、こういう説があるなど、講義で学んだことをペラペラ長時間喋ったりしてるので意外と真面目に聞いた講義の内容は頭に入っている気がします。

 

 

専攻分野以外の勉強はそこまで頑張れませんでした。

もう少しまともに数学をやりたいのですが、余裕がありませんでした。

 

統計学が魅力的かつ専攻分野にも関わるので、せめて統計学だけは頑張りたいと思っている所存であります。

 

 

プログラミングに関しては、どちらかと言えば苦手ではあるものの、プログラミングで何らかの作業を効率化したりだとかそういったものはやはり好きなんだと思います。

 

LINEボット制作、スクレイピングなどの趣味の他、大学のレポート課題にもプログラミングが役立っています。

 

得られたデータから自分の思い通りのグラフが書けるだけで満足します()

 

他には、これもお遊びですがiosのショートカット作成も定期的にハマってやってました。

 

自分用に色々作りましたが、他の人にとっても有用そうな(気がする)ものもあるので、そのうち共有しようと思います。

 

 

どこかの記事で機械学習を試してみたいとかなんだか書いた気がしますが、色々調べるうちに実装より理論の方に興味が湧き、それに関連する講義を後期では取りました。

 

その講義を得単したとしても自分の場合卒業単位に加算されないのが残念ですが、授業資料・先生の説明の両方が分かりやすいので満足しています。

2022年に対する願望

抱負ではなく願望。

 

抱負など言ったところで、どうせ2022年の終わりには抱負が何だったかなんて忘れてると思うので、こういう年になったらいいという未来の因果への願望を述べます。

 

 

取り敢えず、大学の単位が取れたら嬉しいですね。

 

毎年後期は単位が全然取れないので、今年はたくさん取りたい。

 

今の所そこそこ頑張れてるのでこのまま春休みまで頑張ってほしい。未来の自分頼みます。

 

あとは......なんでしょう。全然思いつきません。

辛いことが無いといいですね。辛いことが全く無いというのはありえないと思いますが、ちょっとしんどいくらいにしてほしい。

 

 

それから勉強が進むといいですね。

 

英語ができるといいですね。

 

 

リスニングができるようになりたいです。

調べ物をして、英語の解説動画がでてきた時に「あぁムリだ。」となってしまうのを辞めたい。

 

語学があらゆる勉強の中で一番嫌いなので、この勉強が続くかはかなり怪しい。

未来の自分、続けて。

 

音楽ことをもっと知りたいけど、それは流石に大学卒業してからかなぁ、と。

そんななんでもかんでも同時並行ではできません。

 

大学卒業後

大学卒業したら取り敢えずニートになる予定で、それを目標に大学生活を頑張っている側面があります。

 

ニートをやると言ったら「社会を舐めている」と言われたことがありますが、逆です。

 

社会を舐めてないからニートをやるのです。

社会でやっていける自信が全くありません。

 

 

ニートをやるにあたっての不安が実家での生活です。

 

ニートをやるとしたら高確率で実家に連れ戻されると思いますが、そうすると親と生活することになります。

 

自分の生活空間に誰かがいるということはかなり苦痛に感じられます。

一人じゃないと落ち着かないですし、人ともあまり喋りたくありません。

 

 

ニート生活においてはその面が非常に懸念されます。

 

 

新年早々書くような内容のことでは無い気がしてきたのでそろそろ終わります。

 

大学、オンライン授業になってくれないかなぁ...

 

・YouTubeチャンネル

・凡庸京大生の独り言(メインブログ)

・思い出エッセイ集(note)

これからはPCをまともに使えない若者が増えていく

この記事は別のサイトに移転しました。

約2秒後に自動的に記事に飛びます。

ピアノの擬音語の1つが「ポロン」であることに納得できない

f:id:nagisaharu:20211107112309p:plain

 

タイトルの通りです。なぜ「ポロン」なのでしょうか......

 

タイトルのようなことを思っていてネットで調べたら、全く同じことを考えている方がおられました↓

楽器の音色を擬音語で表すなら? - 皆さんの感性でお答えください。... - Yahoo!知恵袋

 

 

一度もピアノの音を「ポロン」という擬音語と結びつけたことがありません。

 

ピアノの音は「タカタカターン」だとか高い音だったら「ピンッ」や「パンッ」がしっくりきます。和音だったら普通に「ジャジャーン」とか。

 

「ポロン」という文字がピアノのそばにかかれていたマンガを初めて読んだ時は「なにこれ?ピアノの音なのか」と0.7秒くらい思考がとまりました。

 

 

特に「ポロン」の「ロ」が納得できません。

とても不思議です。

 

 

いつからピアノの音を「ポロン」と表現するようになったのか、最初に「ポロン」と表現したのは誰なのかなどが気になり、軽く調べてみましたがめぼしいものはヒットしませんでした。

 

その方面に詳しい方がおられましたら是非ともご連絡をお待ちしております。

 

 

・Twitter

・メインブログ

・YouTubeチャンネル

・思い出エッセイ集(note)

ここ数年、本を最後まで読みきれなくなっている。

f:id:nagisaharu:20211031033124p:plain

ここ数年、自分にとって本一冊を読み切るというのはとても難しい行為となっています。

 

主に文庫本とか新書とかの読み物が最後まで読めません。

 

 

自分は食費以外の出費の殆どは本代です。

読書家というわけではなく、欲しい物で思いつくのが本しかないくらいに物欲がないだけです。

 

 

3年くらい前までは毎日何かしらの本を読んでいました。

必ずズボンのポケットに文庫本を忍ばせており、電車の中で読んだり用事の待ち時間で読んだりとしていた記憶があります。

 

最初から最後まで、一冊丸々読めていましたが、最近は全然だめです。

 

暇な時は本屋によく行き、良さげな本があったら取り敢えず購入してはいます。

 

その後帰宅してから読みすすめるのですが、大抵どの本も20pから40p読んだら疲れて読むのをやめてしまいます。

 

それ故、部屋にある本の殆どが読みかけで、しかも最初の数十ページしか読んでいないという始末。

 

 

一回読むのをやめてしまうともう一度本を開くことはなかなか無いです。

 

奇跡的にもう一度その本を開いたとしても、最初にその本を読んでから時間が経っていると前のページの内容が記憶から抜けていて文脈が分かりません。

 

そうは言っても一番最初から読むのも面倒なので、途中から読みますがやっぱり良くわからない。

 

そして読むのが面倒くさくなってまた本を閉じる、と。

 

こういう感じで積ん読の連鎖が起きています。

 

 

本を読むという行為は大変にコスパの良い行為で、死ぬまで続けたいものと思っていましたが、このような状況が数年続いているのでそのうち本を買うことすらやめるんじゃないかという危機感のようなものがあります。

 

 

今は大学のことで頭がいっぱいで、そのせいで本が読めていないだけと自分言い聞かせたりもしています。

 

昔の本が読めていた時は、大学に行くのをやめた完全不登校の時期でした。つまりまとまった時間が大量にあったのです。

 

勉強もそうですが、スキマ時間にコツコツという作業ができません。

 

いろんな作業を並行したりもできないので、2ヶ月くらい読書だけの時間を作ってみたいものです.......

 

春休みか夏休みをその時間に当てればいいだろって話ですが、普段勉強をしない人間なので長期休みにやらないとまずい...ってなるんですよね。

 

大学生といえば読書っていう感じがするのですが、自分にはそれは無理そうです。

 

大学卒業したら本を読む習慣は戻ってくれるのかしら。

 

同い年の友人が「最近本を読めなくなった」という話をしていたので、もしや年齢の影響もあるのか?とか思って現状を書き連ねてみました。

 

過去一まとまりの無い文章を書いてしまいました。

 

・YouTubeチャンネル

・凡庸京大生の独り言(メインブログ)

・思い出エッセイ集(note)

文転した結果、レポートを書く才能が無いということに気づけた

f:id:nagisaharu:20211031022046p:plain

レポートが書けない。

 

マジで書けません。

 

数年前から薄々気づいていましたが、文系学部に入って数年経ち、最近ようやくはっきりしました。

自分にはレポートを書く才能がありません。

 

 

理系の忙しさと文系の忙しさ(まぁ忙しさに関しては理系・文系というか学部や学科によると思うけど)の種類の違いが少し分かった気がします。

 

 

自分は高校卒業後は理工学部というところに進んだのですが、そこでは「理系は忙しい」と言われる所以である実習・実験があり、それらは確かに大変でした。

 

 

しかし、それ以外の数学や物理の授業では、成績は基本的に中間テストや期末テストの点数で決まったり、毎週出される問題を解いて提出すればよかったです。

 

少なくとも理系の1,2年生が学ぶ数学や物理というのは大体どこの大学でも学ぶ内容は同じであり、最悪自分で勉強してテストで点数が取れればどうにかなります。

 

また、それらのテストでは基本的に自分の考えを述べるというようなものは少なく、計算したり証明したりして1つの答えを出すというものが多いです。

 

 

 

それに対して人文科学や社会科学では、勿論1つの決まった答えを出すような期末テストで決まるものもありますが、理系に比べれば自分で書いた文章が成績に反映されるような講義が多いです。

 

それらは大抵テーマが決められて、そのテーマに沿って「○字以上で述べよ」という形式です。

 

自分にとってはこれが難しすぎます。こんなのを多くの人が当たり前のように書いて提出しているのが意味わかりません。みんな作家にでもなったほうがいいのではないかと思います。

 

 

去年の後期、自分は最終レポートでほぼ成績が決まるような専門科目の授業をたくさん入れました。

しかし、それらの全てでレポートが書けず未提出に終わり、その結果合計6単位だったか8単位だったかしか単位を取れませんでした。

 

 

レポートを書きはじめることすらできません。

 

”何書こうか少し考える→なーんも思いつかん→授業資料とか見つめる→上手く書けんな、諦めよ”

 

のパターンで単位とバイバイしてきました。

 

 

事実、一般教養科目(京大では全学共通科目といいますが)は結局ほとんど自然科学の科目で埋めました。

 

 

 

自分は明らかに周りよりも文章を書く能力が低いです。

これは気の所為ではなく、いくつかの講義でしっかりと実感しています。

 

講義終了△分前から小レポートorコメントシートを書き始め、早く書き終わった人から帰っていいというような授業ってたまにあるじゃないですか?

 

あれで大体自分は残り5人くらいになるまで残って書いています...

 

みんな書くの早すぎだろ!?っていっつも思っています。

 

コメントシートですら書き始め10分くらい何も思いつかないんですよね。

なにか思いついて書いたとしても論点が全くまとまらず、その結果ほぼ時間切れのような感じで投げやり提出する羽目になっています。

 

 

マジで毎回悲しい気持ちになってる。

 

専門科目はできるだけレポート評価じゃないものを選んでいく所存ですが、必修科目との時間割の兼ね合いや自分の興味との合致度などを考えるとレポートを完全に避けるのは無理そうです。

 

 

卒業はいつ頃になるのでしょうか...

 

・YouTubeチャンネル

・凡庸京大生の独り言(メインブログ)

・思い出エッセイ集(note)

自分の好きな音楽がなぜ好きかの説明って難しくない?という話

f:id:nagisaharu:20211025021833p:plain

自分は音楽をよく聴きます。ほぼ一日中ずっとイヤホンをしています。耳へのダメージ半端ないと思います(耳へのダメージは回復が難しく本当に良くないらしいので気をつけましょう)。

 

毎日音楽を聴いていますが音楽マニアでもないし、特に音楽を聴くのが大好きというわけでもないと思います。

単純に世の中が音で溢れていてうるさいのでシャットアウトしてるだけです。

(それについてのお話はこちら

 

 

さて、今回は日々の生活であふれるその環境音についての話、ではなく音楽の嗜好についてのお話です。

 

 

好きなアーティストや好きな音楽のジャンルが明確にある、という人でなくとも何らかの音楽を聴いて「この曲好き!」となる瞬間はあると思います。

 

ただこの時に”なぜその音楽が好きなのか”、”その音楽のどういうところが好きなのか”ということを言語で以て説明するのはとても難しいと個人的には思っており、ここ1年くらいにおける関心事の1つとなっています。

 

 

ちなみに歌詞がいいというのはまた話が変わってくるのでそれについては考えていません。

これは単純に自分が歌モノを最近あまり聴かない&自分が歌詞を聴いていない(5年くらい聴き続けた曲でも歌詞覚えてなくて歌えない...)ということによるものです。

 

 

自分が好きな音楽のどこに自分が魅了されたのかということをこれまで考えてたわけですが、考えた結果正直まだ良く分からんって感じです...

 

 

当然、好きな音楽のたった1つの要素(例えばメロディだとかリズムだとか)が好きの要因になっているとは思っていません。

 

しかし、好きの要素数は間違いなく有限であるわけで、それらを言語的に説明できないことはなんだか気持ち悪いと思ってしまうわけです。

 

 

 

以下自分の音楽嗜好を研究した結果の話。

 

最初に思ったのは、主にメロディが自分の嗜好に合っているとその曲を好きであると認識するのではないかということ。

しかし、これは割と簡単に例外がポンポンと見つかってしまい、今では要因の強さとしては意外とそこまで大きくないとすら思っています(あまりにも単調だとあれだけど)。

 

 

次に考えたのがコード進行。

 

音楽に明るくない身としてはすでにこの辺で研究の限界がくるわけですが、一応1つ発見がありまして、自分は半音進行(正確な定義分かってない)が大好きだということに気づけました(とは言え殆どの人が半音進行好きなんじゃないかって気もするけど...)。

 

パッシングディミニッシュが来ると「これこれ!!」ってなりますし、下がっていく時の途中でaugが入ると嬉しくなります。

 

音楽嗜好に与える要因の強さとしてはそこそこ強いなと感じました。

 

 

次にリズム。これも自分が好きなリズムがあるということに気づけましたが、文章で表現できる技術が無いので割愛。

 

 

あと補助的要素感はありますが調性の影響も割とあります。

自分はフラット系の曲が好きで、変ホ長調が好きみたいです。

 

 

 

そして最近では、音楽に用いられている楽器の種類が自分の思っていた以上に音楽嗜好に影響を与えているということに気づきました。

 

やわらかい音が好きです。

 

使われている楽器に倍音がどの程度含まれるか、またその倍音が奇整数か偶整数かなどという話になってくると思うのですが不勉強により語れません。

 

とにかく、心地よく聴こえる波形があります。

 

 

これに気づいたのは音楽を次々と飛ばし飛ばし聴いていたときです(最悪な音楽鑑賞態度)。

 

曲の始まり部分では音が少ないことが多いので数十秒飛ばし、そこから数秒間だけ聴くという作業をすることがあります。

 

その数秒だけで自分に合う音楽かどうかの判断が可能なことがとても不思議に感じました。

 

音楽全体の進行をほぼ無視しても好きな音(=音色)があれば好きという確率が非常に高くなるということになります。

 

 

音の物理的性質に対する知識がもっとほしいですが、最近あらゆる分野で知識欲より勉強そのものへの怠さが上回りがちです。良くない。

 

 

それについての勉強をすることが果たしてあるのか、あってほしい。

大学の勉強が落ち着いたらやる、やってほしい。

 

相変わらず自分のことは全く信用できない。

 

 

 

取り敢えず音楽は奥が深すぎてよく分からないって結論で今回は終わります。

 

・YouTubeチャンネル

・凡庸京大生の独り言(メインブログ)

・思い出エッセイ集(note)

近年は秋がほぼ無い

f:id:nagisaharu:20211025002307p:plain

自分が初めて大学生になったくらいから秋の存在が希薄になっている気がします(単純に地元との気候差の影響な気もするけど)。

 

今年は特にひどかったです。

 

毎年「今年は秋が無いなぁ」と思っているので、いい加減夏と秋の境目を明らかにしようと思い、今年は日記に自分が秋と感じた日を書き込みました。

 

 

それによると、2021年10月16日はとても暑かったらしいです。確か日中に冷房をつけていたと思います。

 

しかし、なんとその翌日の2021年10月17日は寒いと書いてあります。

 

 

この日は本当に印象的な日でした。

 

その前日が暑かったために、夜は半袖半ズボンの格好でタオルケットをかけて寝ていましたが、朝に寒くて目が冷めたのです。

 

そういうわけで朝に暖房をつけました。日中には暑くなって流石に暖房を消した覚えがありますが、冷房をつけた次の日に暖房をつけるなんてことは今まで生きてきて一度も無かったです。

 

 

そして今は10月下旬なわけですが、毎日寒いです。

 

自分の中で秋という季節は、夏の気温・湿度の高さが消えた過ごしやすい季節という定義になっていますが、今はもう寒くて全く過ごしやすくありません。

 

冬に小指を突っ込んでいるんじゃないかという感じがします。秋という感じがしません。

 

自分は夏が好きで冬が嫌いなので、その切り替えが唐突に起こると気分も唐突に落ち込みます。

 

近年は、気分の連続的変化による冬への適応が不可能になっているのだなということをひしひしと感じています。

 

・YouTubeチャンネル

・凡庸京大生の独り言(メインブログ)

・思い出エッセイ集(note)