凡庸京大生の自由帳

京大卒ニートの自由帳

サブブログ。こちらでは個人的な事しか書きません。日記・つぶやき。

卒論提出できた

無事卒論提出

めでたい。めでたいので久々にお酒を飲みました。獺祭。

 

3度目の大学入学にしてやっと卒業できそうです。

あとは単位を取るのみ。

 

今期10コマ入ってて確か3コマ以上落としたら留年だったはずです。

卒論出したのに単位が足りずに留年とか残念すぎるので、何が何でも単位を取りきる所存。

 

最悪留年したとしても、流石に次の年に単位は取り切れると思うので、卒業自体はほぼ確定事項です(卒論が認められない、といった可能性は考えたくない)。

卒論だけがネックでした。

 

まさか大学を卒業できる日が来るとは。

 

 

ついにニート生活が現実に始まろうとしています。

ニート期間でやることを色々考えねばなりませんね。

 

取り敢えず本読みたい。

 

思い切りダラダラ生活

寝て散歩、あとアニメ観てました。

 

アニメ

『ぼっち・ざ・ろっく!』と『サマータイムレンダ』を観ました。

友人から強く薦められた『ウマ娘』の2期は5話で視聴中止してしまった。

 

最初、女の子がキャピキャピするだけのアニメ無理...って思ったのですが、「競馬史を美少女アニメにした感じ」と言われ、「競馬史学ぶか...」とモチベが上がり視聴開始に成功。

 

しかし、面白さが分からずリタイア。

ここからやっと物語スタートという感じらしいのですが......また調子いい時にチャレンジしようと思います。

 

『ぼっち・ざ・ろっく!』は良かったです。

原作の方も既刊5巻全部読みました。

 

時代にうまく合ってる作品だなーって思いました。

あとアニメはとにかく演奏シーンがかっこいい。

 

サマータイムレンダ』は10話過ぎくらいまでかなり面白かったのですが、最終回に近づくにつれてどんどんつまらなくなっていきました。悲しい。

でも最初の数話は本当に掴みバッチリでした。

 

オーディオインターフェイス

カラオケに行ったら、こんな↑マイクが設置してありました。

 

ヘッドフォンをつけながら歌ったら自分の声がヘッドフォンで返ってきて、「これ語学の発音練習に最適じゃん!欲しい!」となりました。

 

で、オーディオマニアの友人に相談したらオーディオインターフェイスが必要と言われ、さらに「せっかくなら電子ピアノも入力できるモデルにしたら?」と言われ、最終的にそれらに必要な機器やそれぞれの対応ケーブルなども全部教えてもらいました。

有能過ぎる。ひたすら感謝。

 

発音練習絶対はかどるし、耳コピに関しても自分で弾いた音と音楽が同時にヘッドフォンから聴こえてくるの絶対やりやすいですよね。

楽しみです。

 

 

とまぁ、なんだかここ数日「大学終わった~!」となってる自分がいるのを感じるのですが、普通に今期うまくいかなかったら留年なんですよね...

 

怖い、けど多分怖さから目を背けている。

未来の自分がなんとかしてくれるはず。

 

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卒論が苦しい

卒論を書いています。

 

上から順に書いていこうとしたり、細かい文法や論理を気にしつつ書こうとすると、なかなか筆が進まず途中で心が折れてしまうというのをこれまでの大学でのレポート課題で何度も経験しています。

そういうわけで、取り敢えず文法・論理・言葉遣いなどの一切を無視して、書けそうなところから埋めていっています。

 

 

分析に関してはまだ何もやっていません()

 

取り敢えず、使おうと思っている統計的手法が適切かを先生に確認してから分析を開始しようかなと思います。

 

Pythonの方が慣れているのですが、授業資料をそのまま使えたりするかもしれないという点を加味して、分析ではRを使おうかなとかは考えたりしています。

 

 

それにしても卒論とはこんなにも苦しいものなんですね。

 

先行研究を読み、仮説を立て、適切な手段を用いてデータを集め、分析を行い、分析結果から言えることを考察...というのを1つの卒論としてまとめるというのは、自分にとってはとても難易度の高いものです。

 

 

別の記事でも述べましたが、先行研究を読むのがやはり特にきついです。

自分の研究の意義や主張をサポートするための材料として大変便利であるというのはわかっていますが...まぁ英語がやっぱ厳しいです。

 

先行研究漁りなんてはっきり言って際限が無いもので、その点も厳しさの一要因です。

 

 

また、めでたく卒論が書けたとしても、その後には期末試験や期末レポートが待ち構えています。悲しい。

 

院生に卒論の相談をしに行った時に授業の話になって、今期は10コマくらい入っているということを言ったらめちゃくちゃ驚かれました。

 

 

やっぱ4年生ってほとんど授業ないものなんですね...

 

何年生のときの必修がどうとか、ある時期に何単位くらいとってるのが普通とか結局よくわからず4年生が終わろうとしています。

 

自分でも、情弱なりによくここまで駒を進められたなと思っています。

『友達0人の情弱へ送る大学卒業ガイドブック』とか書いたら5冊くらい売れるんじゃないかこれ。

 

 

とまぁこんなしょうもないブログを書いている余裕は本来全く無いわけで、これは完全な現実逃避です。引き続き頑張ろうと思います。

 

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平等院&その周辺探索

卒論が一山超えました(卒論自体は一文字も書いてないけど)。

あと二山くらいあります。提出期限に間に合うのかは知りません。

 

とは言え一山越えたということで何かご褒美が欲しいと思い、講義後に「そうだ、平等院行こう」となりました。

平等院

平等院は、Google Mapで調べると17:30まで開いてることになっていますが、内部拝観は9:30~16:10の間で20分周期、1回あたり定員50人の先着順システムでした(2022年12月の話なので行くときは必ずHPで確認しましょう)。

 

早い時間帯で買わないと、その日1日分の内部拝観権がすぐに売り切れてしまうそうです。

自分は内部拝観はできませんでした...

 

大変美しいですね。

 

平等院には元々他にも色々お堂があったらしいのですが、楠木正成による放火で当時あったものは殆ど焼けてしまったそう。

鳳凰堂も明治時代からの大規模な修理により復元されているものらしいです。

 

 

ところで、鳳凰堂を過ぎた順路の途中に、六角堂という小さな建物(写真撮ってないので気になる方は他サイトの写真を)があります。

 

この六角堂は鳳凰堂修復時に出た廃材で建てられたもので、実は現在の鳳凰堂よりも古い木材が使われています

 

それを示すように、柱には木組みのための穴が見られます↓

 

見た目もだいぶ古い感じです。

 

だいたい皆素通りしていきます(HPの”見どころマップ”でも紹介されてない...)が、是非お立ち寄りの際はご自身の目でその古さを確認してみてください。

周辺探索

大吉山

この展望台までのルートには、手すりやガードレール的なものはなく、恐らく明かりも無いです。

 

夜に登ったら恐らく山をゴロゴロ転げ落ちることになるでしょう。

宇治橋

大きい橋です。

この橋も相当歴史があるっぽいです。

 

 

あとは宇治上神社に行ったり(こちらも世界遺産)、朝霧橋や喜撰橋などの橋を渡ったりしてわーいってやってましたが、例のごとく写真は撮る習慣が無いので以上。

 

 

宇治までは普段なかなか行こうと思わないので、今回思い切ってノリで行って良かったです。

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論文読む気力はどこ & 京大は放任主義か



卒論のための先行研究漁りを最近開始しつつあります(激遅)。

今年度中の卒業をまだ100%諦めたわけではないので、取り敢えず足掻いてみようという段階。

 

英語は難しい

相変わらず英語の論文には慣れません。

DeepL君に頼ったりもしていますが、DeepL君はまるまる一文訳してくれなかったり、専門用語の訳がうまくいかなかったりで、何を言っているかよく分からなくなるときがあり、結局原文チェックをするというのが割とあります。

 

「論文で使われる英語なんて簡単だろ」って言われそうですし、実際それには反論できないのですが、まぁ要は自分はそのレベルで英語ができないんですねー。

 

 

1年の時には、英語の論文を引用して英語で自分の主張を書くだとか、英語でパワポ発表をするなどという機会がありました。

3,4年では英語の論文をレジュメにまとめて発表するといった機会が何度もありました。

 

こういった訓練を受けてきたにも関わらず、英語(語学)嫌いは特に変わらず、論文は最初の2ページくらい読んだら疲れてしまいます。

 

 

それでも頑張って卒論テーマに関係しそうな論文をいくつか読み進めるわけですが、それら論文のIntroductionではこれまた関係しそうな論文達が引用されているわけです。

 

「これもこれも後で読んでおかないと...」とか考えてると「これあと何本論文読めばいいのん...?」という気持ちになり、論文を読む気力が無限遠に飛んでいきます。

 

京大は放任主義なのか

ところで、京大は放任主義というのは入学前から割りと耳にしていましたが、本当に放任で結構焦ります。

 

教員が卒論テーマの候補を紹介してくれるだとか、卒論の進捗確認をしてくれるだとかいう話を他大学の人から聞いたことがありますが、そんなものは全く無いです。*1

 

教員と卒論に関する話をほぼ全くせずに卒論を書き上げる人も多分いますし、その一方で、いつまで経っても卒論を書けない人がいても特に教員からの働きかけはないでしょう。

 

勿論、質問をすればちゃんと対応していただけますが、自分で問い立てできない人は一生卒業できないのでは?とかは思ったりします。

まぁそもそもそういう人間は京大に来ないのかしら。

 

 

周りはだいたい3年のうちに「卒論はこんな感じのテーマにしようかな」というのを決めているっぽいので、その時期くらいから自分で先行研究を調べているのだと思われます。すごい。

 

 

自分は3年のときには、2年で取るべき二外の単位を回収していました(二外を2年でも履修しなきゃいけないということを知らなかった...)。

 

では2年の時は何をやっていたかというと、1年で取るべき必修英語の単位を回収していました。うーん、語学弱者。

 

 

というか2年時に必修を登録していなかったら「お前、2年で取るべき必修の登録してないけどいいんか?」くらいのメールサービスをお願いしたい()

 

理学部は取得単位が少なすぎると個人面談があるらしいのですが、文学部にはそんなものは無いです。

 

あとついでに言うと、文学部には過去問という文化がありません(おそらく学部唯一?)。

 

これら諸々のこともあり、自分1人でどうにかする能力が培われます。

......いや、今更そんな能力培われません。無能は無能として低空飛行を続けることになります。

 

 

低空飛行に失敗して墜落する人もいるでしょうが、そこにレスキュー隊はやって来ません。

大声で助けを求めれば誰かが助けに来るかもしれませんが、物資の獲得方法を教えられるだけで支援物資が貰えるわけではないので、そこからは自分でどうにかしましょう。

 

 

にしてももう11月かー。+2ヶ月くらいの猶予が欲しい......

 

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*1:ただこれは京大だからそうというより、それなりに優秀な学生が集まってくる大学はどこもそうである可能性が高い

SUBWAYは京都に無い & 注文時のトラップ

※店名SUBWAYは地下鉄という意味ではないらしい

 

東京にいた頃、住んでいた場所から少し歩いたところにSUBWAYの店舗があり、時々食べに行っていました。

 

SUBWAYはとても美味しいのです! Yasai! suki! oishii!

しかし、大変残念なことに現在京都にSUBWAYはありません。

前はあったみたいだけど、閉店してしまったらしい。

悲しい。

 

 

ネットでSUBWAYを検索すると「注文が面倒」というのが出てきます。

確かに最初は注文に戸惑いましたが、日本語が通じない二郎ラーメン*1に比べたらマシです。

 

SUBWAYでは日本語は問題無く通じますが、それでも注文時にはちょっとしたトラップがあります。

 

トラップは野菜を増量する時に現れます。注文の言い方に少し注意する必要があるのです。

 

かつて友人とSUBWAYに行った時、私も友人も野菜を最大まで増量して貰うつもりで、友人は「野菜多めでお願いします」と言い、私は「野菜多めでお願いします、最大まで」と言いました。

 

何年も前のことで記憶が曖昧ですが、店内のどこかに書かれていた説明だったかメニュー表だったかには野菜を多めにできるといった旨しか書いていませんでした。

それを見て野菜を増量する/しないの2択なのだと私も友人も理解したのですが、なんとなく私は心配になってわざわざ「最大まで」と付け加えました。

 

 

そしてその結果、もうお分かりかと思いますが、友人と私のとでは野菜の量が異なっていました。

ヒューマンエラーで葉っぱの量に誤差が生じたのではないかとも思いましたが、トマトの枚数が違ったので明らかに異なる処置がされたのだと分かりました。

 

 

SUBWAYは増量する/しないの2択ではなく、増量には段階があります。

これは不親切です。なにせ上述した通り、野菜を多めにできるとしか書いていないのですから。

 

ただ、もしかしたら今は修正されているかもしれません。

が、直接は確認できない...なぜなら京都にSUBWAYは無いから。

 

ということでネットで検索してみたところ、提供価格・野菜増量ルール改訂のお知らせというのがでてきました。

 

どうやら2022年3月23日以降、野菜増量ルールが変わったみたいです。以下引用。

■基本野菜
「多め」のご要望に対してはこれまで通りに対応させていただきます。
それ以上のご要望に対しては「レタス」のみ増量いたします。
If you want to add extra vegetables to your standard recipe, we will continue to add them just like how we used to. If you want to add more, we will increase the amount of lettuce only.


■アクセント野菜(オリーブ、ピクルス、ホットペッパー
アクセント野菜のご要望には各種 3 個を基本としてお入れします。多めご要望の場合は 6 個までとさせていただきます。

We offer 3 pieces of Olives, Pickles and Hot Peppers as accent vegetables. If you would like to add more for any of accent vegetables, please note that we will offer up to 6 pieces of each.

 

よく分からないので調べてると、どうやら「多め」というのが約1.5倍で「上限」が約2倍らしい。ほえー、これは公式でアナウンスされていることなのでしょうか。

 

また、”それ以上のご要望に対しては「レタス」のみ増量いたします”と書いてありますが、それ以上のご要望は一律に2倍になるのか1.5倍~2倍の連続値なのか分からない。

 

というか調べてて思ったんですが、「多め」とか「上限」とかってもしかしたらSUBWAY用語(それかユーザーと店側が共有する暗黙の共通用語か)?

 

現在レタス以外では「多め」が文字通り「上限」となっているわけですが、例えばこれで「全部上限まで」とか言ったら「レタス以外での"上限"の提供は終了しておりまして...」とか返ってくるのかしら。

色々考えることが多くなってしまう。

 

 

冒頭でSUBWAYを検索すると「注文が面倒」とでてくると言いましたね。

うん、これは面倒かもしれない。

 

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*1:二郎の「にんにくいれますか?」に対して「はい」か「いいえ」で答えると店員に嫌な顔をされる。「にんにくいれますか?」は「各種トッピングはどうしますか?」の意。は?

カントの認識論を色知覚の例で考える

まず以下、カント認識論の自分なりの大雑把な理解。

 

まず、環境におけるなんらかの物体そのもの(物自体と呼ばれます)を感性によって受け取ります。

これは本当に文字通り受け取るだけです。情報(光・色などの物理的なもの)がただ入ってくるだけのイメージ。

 

ではこの感性で受け取ったものをどうやって我々は解釈・理解するのか。

その役目を担うのが悟性です。悟性によって我々が持っている知識などが総動員され、それが何であるかということを我々は解釈・理解できるようになります。

 

 

昔、大学受験の勉強としてこれを学んだ時、「物自体を捉えることはできない」ということを覚えただけで、具体例は特に思いつきませんでした。

 

 

ですが最近、カントの認識論を改めて考えた時、「色知覚がまさにその具体例ではないか」と思いました。

 

目の前のりんごを赤いと認識する時、我々が赤とイメージするような色を(感性によって)りんごから受け取っているわけではありません。

 

我々は色を見ているのではなく、ある波長を知覚し、それを解釈しています

(赤だとしたら700nm~800nmあたりの波長成分がピークでしょうか)

 

人間の網膜には3つの錐体細胞があり、それらは網膜に入ってきた波長の成分に対応して興奮度合いが変わります。

 

そして、その興奮度合いの違いを利用して、脳がある計算をした結果が我々の色の解釈となるのです。

 

これを考えた場合、果たして我々がイメージする赤という属性を、目の前のりんごが本当に表面にまとっていると言えるでしょうか。

 

人間の認識を通さない世界(そもそもこれが人間には認識不可能というわけですが)において、りんごがどのようであるかというのは誰にも分からないのです。

 

物自体の認識は誰にとっても不可能である、となります。

※ただ、"波長"も人間の認識を通して得た概念であり、波長が物自体かと言われると...うーんわからん

 

 

......とまぁこのような理解をした時、自分は少し理解が深まった気がしたわけですがどうでしょうか。

 

 

カントの道徳や倫理については「価値観が合わん...」となってしまい、内容は殆ど覚えていませんが、認識論は面白いですね(小並感)。

 

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2022後期始まった

後期スタート

後期の授業が始まって1週間経ちました。

 

相対的に興味のある講義を詰め込みましたが、相当の熱量を注げるほど興味のある講義は殆どないです。

 

また、実はまだ取り終えていない必修科目が複数あるのですが、それらはとても重そうです。

 

それらに取り組みつつ卒論もやらなければならないと考えると、今年度中の卒業は80%くらいの確率で無理だなと思いました。

 

まぁ中退しなかっただけ偉いですね。

中退(次に中退したら3度目の大学中退となる!)の可能性はほぼ0です。留年したとしても恐らく1年でしょう。

 

もう大学疲れたよぉー

やるべきことのためにやりたいことを止めるは難しすぎる

最近は物理学のお勉強をしていましたが、この勉強を止めないと卒論どころか単位も多分取れません。

 

夏休みは読書も結構進みましたが、これも止めないと卒論どころか単位も(略)

 

やるべきことのためにやりたいことを止めないと、やるべきことが何も進みません。

 

やりたいことを少し抑えてその分のエネルギーをやるべきことに分配するみたいな器用なことができません。

0か1かしかありません。

 

この0か1のせいで単位を取るのも厳しいです。

自分は全ての講義で60点を取れればいいと思っています。なぜなら60点だろうが100点だろうが同じ2単位だから。

 

でもうまい調整の仕方が分かりません。

前期も成績が100点だった講義が何個かあった気がします。

自分はそれを見ると無駄なことをしたと思ってしまいます。

 

100点取ってる暇があるならその余力を他に回してもっと単位取れよと思います(ただでさえ単位足りてないんだから)。

でも脳がそうなってない。

 

 

物理のお勉強も読書も毎日したいけど、これはもしかしたら卒業まで全くしないことになるかもしれない。悲しすぎる。

 

脳が無能すぎる。ホント誰かどうにかしてくれ。

対面授業は悪すぎる

10月に入って一気に冷えましたね。

 

現実逃避なのか最近よく深夜散歩をしていますが、長袖長ズボンでも肌寒いです。

冬になったらいよいよ引きこもりですね。

 

オンラインになる気配は無いので(様子見でハイブリッド形式にしてる講義はいくつかあるけどいつまで続くか...)、寒い中大学に行かないとですね。詰みですね。

 

対面授業は良いところが本当に見当たらない。

 

そもそも仕切られた空間に人間が詰められているという状況が不快。

身体をいちいち教室に移動させなければならないという手間も謎。

座る位置によって先生の声が聞こえにくかったり板書が見えづらかったりもします。

 

オンラインであれば先生の声は明瞭に聞こえますし、自分だけに語りかけられているように感じられてめちゃくちゃ集中して受講できます。授業の様子も受講者に平等に提供されます。

 

あと紙の資料も勘弁してほしい。管理が大変。全部pdfにしてくれ~

 

というふうに自分の都合・立場でいくらでも文句は言えてしまうわけですが、先生の立場的には、受講者の反応が見えないというのは授業進行においてかなり不安要素らしいですね。

 

確かにそれはそうかって感じではあります。

 

ただ受講者の反応という面で言えば、オンラインの方が質問が出やすいというメリットはあると思います。

 

自分もチャット欄で授業中に結構質問したりします。

 

全部オンラインに一本化しろなんて言わないので、せめてハイブリッド形式にして対面かオンラインかで選べるようにはしてほしいですね。

 

 

大学卒業って本当に大変だ(n回目)。

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