凡庸京大生の自由帳

京大卒ニートの自由帳

サブブログ。こちらでは個人的な事しか書きません。日記・つぶやき。

Apple Storeスタッフとスタバ店員は接客態度が良すぎて怖い。ロボットみたい。

Apple Storeには人生で3回くらいしか行ったことないです。

 

初めて行った時、店員の対応に驚きました。

愛想が良すぎるのです。

 

まず、どのスタッフもハキハキ喋ります。非常に聞き取りやすい明瞭な発声をします。

 

話す時も絶妙な距離感を保ってきます。フレンドリーなのですが、馴れ馴れしくもない感じ。

 

そして一番特徴的だと思ったのが口角が常に上がっていること。

これが一番怖いです。

 

普段からそういう態度である人間がスタッフに回されるのか、それともそういう教育を徹底的に叩き込まれた結果なのか、もしくはその両方なのかは分かりませんが、あまり人間と話している感覚がしません。

 

絶対に客を不快にさせないぞというエネルギーを感じるのですが、ある種の人間性を捨ててそのエネルギーを捻出している感じがして怖いのです。

 

 

評判が悪ければすぐにネットでネガテイブな評価を受けてしまう世の中なので、どの企業もカスタマーサービスには注意を払っているのでしょうが、Apple Storeが最も印象的です。

(ネットで調べたらApple Storeのスタッフの態度が悪いみたいなの割りと出てきたけど店によるのかしら)

 

 

次。スターバックス(スタバ)について。

 

スタバの店員はApple Storeのスタッフよりは怖くないですが、マニュアル通りのコミュニケーション(勿論あくまで予想ですが)を見せつけられるというしんどさがあります。

 

スタバに行くと大抵自分はドリンクを決めるのに長考してしまいます。

 

メニュー表を前に悩んでいると、ほぼ100%店員側から声をかけられます。

「何かお探しですか?」や「お悩みですか?」って言われることが多い気がします。

 

「あんまり甘くないやつで~」と会話を切り出すととても愛想よく対応してくれます。

 

商品の特徴や、期間限定のドリンクなどについて笑顔で楽しそうに説明されます。

 

正直この時点で自分なんかは少しびっくりします。

他のチェーンのカフェで、ドリンクで悩んでいる時に店員側が話しかけて、さらに説明も始めるところってあんまり無くないですかね。

 

スタバにそんなに行くわけではないですが、メニューに悩んでるとほぼ100%そういう会話がスタートするのでそういうマニュアルというか暗黙のルールみたいなのがあるんだと勝手に思っています。

 

それから、スタバってたまにカップにメッセージや顔のマーク?が書かれることありますよね。

 

調べたらそれはマニュアルに書いてあることではないようですが、まぁこれも暗黙ルールと言っていいでしょう。

そうでなければ全国のスタバで観測されているのはおかしいので。

 

あれも、「こういうことをしたほうが客が喜ぶ」みたいな戦略を見せられている感じがしんどいです(自分の性格が悪いだけな気がしてきた)。

 

 

最後に、スタバで起こった最も印象的な出来事について話します。

 

自分がドリンクを選んでいる時に、急に店員のお姉さんに「髪色いいですね!私も昔赤にしてたんですよ~」と言わたことがあります(その時自分の髪は青っぽかった)。

 

自分はこれに本当に驚きました。

 

店員と客という立場の関係、そしてその時の状況からしてその会話は無くても問題ないわけです。

所謂世間話というやつです。

 

それをその状況で繰り出すことに驚いた自分は、お姉さんに「そういう対応をするみたいなのもマニュアルに書いてあるんですか?」と聞きました。

 

そうしたら「あー、そうなんですよ~」という答えが返ってきました。

 

その答えに更に驚きました。

 

面倒くさくて適当にそう答えた可能性も勿論あります。

また、自分の質問が曖昧すぎたせいで、"そういう対応”の”そういう”が具体的に何をさすのか分かりません。

 

しかしとにかく、コミュニケーションマニュアルらしきものもあるっぽいということは分かりました(スタバの店員or元店員にここらへんめっちゃ聞きたい)。

 

客に対するコミュニケーションにまで画一的なマニュアルがあることが怖いです。

そしてそれを自然に実行する店員も怖いです。

 

嫌々そうに対応していたらまだ人間性を感じるのですが、自然にやっているように見えることが不気味なのです。

 

 

 

なんかスタバの話の比重が高くなってしまいましたが、以上が自分の感じた接客対応の怖さについてのお話です。

 

性格悪すぎだろと言われれば否定はできないのですが、人間に敏感な人は絶対に感じていることだと思います。

 

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何の仕事をするにしても他者から評価を受けなきゃいけないという悲しさ

生活保護、ヒモ、親の脛かじりニート

恐らくこの3つのどれかを選ばない限り、全く働かずに生きるというのは不可能でしょう(資産があるという前提は別)。

 

働いてお金を稼ぐ方法としては、会社などのどこかしらの組織に所属して組織のために働くか個人で稼ぐという二択が主だと思います(というか本当にこの二択しかないんですかね...生きるの難しすぎないですか)。

 

最近よく働くということについて考えています。

 

自分がなぜ働きたくないかについては、人と話したくない・関わりたくない、移動したくない、朝決まった時間に起きたくないなど理由は沢山でてきます。

 

しかし、それらは職種によっては避けられることです(人と全く関わらないっていうのは流石に無理だろうけど)。

 

もっと確信的・本質的な理由があるはずだということで前に思ったのは、単純に自由時間が奪われることになる時間的拘束に耐えられないから、ということです。

 

自分の意思で行動できない環境に対するストレス耐性が著しく低いです。

 

しかし理由はそれだけではありませんでした。

 

改めて働きたくない理由について考えた結果、人からの評価を受けたくないという気持ちが含まれていることに気づきました。

 

高評価・低評価に関わらず、人から評価を受けるということにとても抵抗を感じます。

 

組織で働くにせよ、個人で働くにせよ、他者から評価を受けるということは共通です。

これは何があっても絶対に避けられないことです。

 

そして働くということは、この避けられない事と対峙しなければならないということであり、この当たり前のことが割りと重いストレスになるだろうなと想像されました。

 

 

評価を受けるということは、程度の差はあれ他者からの期待や失望からくる良し悪しの判定結果が返ってくるということです。

 

低評価が心地よくはないというのは殆どの人がそうだと思いますが、高評価もよくよく考えたらしんどいです。

 

高評価を受けるというのは、自分に対する期待値や信頼度があがるということです。

次の成果のお披露目時にはその眼差しが向けられることになります。

 

見えないプレッシャーです。

他者からの評価を受けないでお金を稼ぐ方法ってなんかないですかね。

 

 

少し考えて思ったのが、他の生き物のためなら頑張れる気がするということ。

 

例えばカブトムシをできるだけ長生きさせる方法を考えるとか。
でもカブトムシはお金払ってくれないしなぁ。

 

まぁそれもどうせ途中でめんどくさくなって投げ出すか...

 

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また精神がおかしくなってきた&働く行為が当然なのは明らかにおかしい

数年前の、うつ病だった時のあの感じが戻ってきました。

 

全て投げ出してずっと寝ていたい。

何もしたくない。

 

とりあえず早く前期が終わってくれないとまずい。

ここで不登校になったら2ヶ月の頑張りが水の泡です。

 

 

なんでこうなったのかについては、嫌でも将来のことを考えなければならない状況になってきたからだと思っています。

 

大学生という身分でこれまでごまかせていましたが、ついにごまかせなくなる段階に入ろうとしています。

 

この長く辛い大学生活が終わった後(終われるか知らんけど)はいよいよ何もありません。

 

ほんの少し院進を考えていた時期はあったのですが、説明会に行った結果「自分がやることなくね?」となった(当然やることがないというのはありえないのですが興味を持っていたことに関しては予想以上に研究が進んでた)ので院進はしません。

 

当然就職もしません。

 

実家に戻ることになるのがきつすぎる。誰かと生活するのが苦痛でしょうがない。

 

じゃあ働いて経済的自立して一人暮らしするしかないじゃん!ってことになるのですが、働くという行為が本当に無理です。

 

というか働く行為が当然とされる世の中が怖すぎる。

勤労の義務って普通に人権侵害だと思うんですけど。

 

働きたい人は勿論働けばいいと思います。

ただ、働きたくない人の存在は考慮しないの??という社会・制度への疑問が浮かび上がります。

 

こういうことを言っていると「働かなくても良いってなったら社会が回らなくなるだろ!」と言う方が必ずでてきますが、ニートをするにも才能が必要なのです。

 

何もしなくて良い日々をなんとも思わない人、もしくは自分で自分を楽しませられる技術を持っている人。

 

こういったある種の才能を持っていない限り、ニートはできません。

 

そういう才能を持っていない人は結局一定時間が経ったら勝手に働くことになります。

ニートをやったことのない方は一度やってみてから意見してみてはどうでしょうか。

 

 

数十年後に必ず「昔は働くのが義務だったらしいwwやばすぎる」という世界になっていることは確実なので、生まれてくるのが早すぎたなぁと思うしかない。

 

 

とりあえず自殺は自分には無理であることが昔判明したので、苦痛の日々を生き抜く道が確定しているという現状。

 

高校生あたりから段々人生が辛くなり、大学生で一気に辛くなり、めでたく卒業しても更に辛い日々が待ち受けています。

 

ホント人生どうなってるんだ。

 

人生の全盛期はやはり小学校~中学校なのか。

 

 

あと関係ないけどLINEめちゃくちゃ消したい。

人と常に繋がっている感覚が不快すぎる。

 

これまで衝動的に3回くらいLINEを消してきましたが、流石に学習したのか、デメリットを考慮することで現状なんとかアカウント削除には至っていません。

 

 

数少ない友人のうち、一人とは基本メールでやりとり(頻度も少なめ)しているのですが自分にはメールがちょうど良い気がします。

 

 

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年齢を重ねるにつれて人生のイベントが無くなってくる恐怖

5月が終わろうとしています。

数日前からとても暑いです。一昨日だったかはクーラーつけました。

 

日中外出時に長袖だとしんどくなりますが、夜は涼しいです。

ここが夏との違いかもしれませんね。

 

今の日中は自分の中ではもう夏です。

 

 

大学の方はというと、まだ不登校にはなっておらず(少しサボり始めてきたけど)、一応課題に関しては毎週きちんと出せている気がします。

 

脳のキャパが終わっているので、毎週の課題をやるので精一杯でそれ以外のことはほとんど何もできていません。

 

少し前は読書に勤しむ時期が到来してくれたのですが、ここ1,2週間くらいで本を読まない周期に入ってしまったようです。

 

来週あたりからまた読み進めたい、という気持ちはある。

 

最近読んだ本(最近の定義は知らん)が10冊近くになったら読書記録として書き残そうかと思っています。

 

昔ブログで書評をしようとした時期がありましたが、内容をいい感じに要約するという行為が下手すぎたのでやめました。

小学生でも書けそうな感想を付け加えるだけになりそうです。

 

 

最近は1年過ぎるのが早すぎます。

どうせここから夏休みまでの2ヶ月くらいは大学のことでアタフタする日々として消費されていくでしょう。

 

夏休みが始まった後は、最初の1ヶ月くらいは割りと頑張り、残りの1ヶ月はきっとクーラーの効いた部屋で布団にくるまりながら寝る日々でしょう。

 

大体想像できてしまうのが悲しい。

 

 

大学をもし卒業したとしたら、その後は人生のイベントがないように思えます。

就職活動をしたら就職、昇進のイベントとかはあるかもしれません。

 

自分にはその世界のことはよくわかりません。

ただ、想像はしたことがあります。

 

想像した結果、その後についてはいよいよ本当にイベントがないということになりました。

 

人生のモチベーションが無くなりそうです。

 

そういうわけで人は結婚や子供作りなどのイベントを発生させ、自分のためではなく誰かのために生きるということで人生のモチベーションを作るのかもしれません。

 

もちろん、そんなことを意識した上で結婚を考える人は少数でしょうが、無意識下の欲求がそうさせているのかもしれない。いや、そうでないかもしれない。

 

想像に想像を重ねて好き勝手言ってるだけなんで分からないです。

 

 

人生の割りと序盤でイベントが極端に少なくなるくせに人生って長すぎる。

 

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数年ぶりに受けたTOEICの結果と感想(第293回公開テスト)

 

前に受けたTOEICの結果返ってきました。

ご覧の通り、840点でした(使った参考書・勉強法についてはこっちで書いた)。

 

(自分の中では)割りと真面目に2ヶ月くらいTOEICの勉強をしたのですが、こんなもんなんですかね。

 

900点くらい欲しかったという気持ちが小さくもない。

 

今回でTOEICは2回目の受験なのですが、1回目受験時の記憶がほぼ無いので気持ち的にはほぼ初受験でした(ちなみにその時のスコアは635点)。

 

ということで、初受験()の感想を書きたいと思います。

 

まず1番言いたいこと。リスニングが難しすぎる。

 

自分は究極のゼミシリーズという参考書を使ってリスニングの勉強をしていたのですが、その中に出てくる問題と本番の問題の難易度が違いすぎてびっくりしました。

 

例えば、学習時はPart1で分からないということは基本的に無かったのですが、本番では2,3問自信なかったです。

 

リスニング全体を通しても、「大体何言ってるか分かる」という状態がデフォだったのが、本番では「大体何言ってるか分からん」になりました。

 

 

スピーカー音声の反響がすごかった(普段はイヤホンでリスニングしてる)のでそれにびっくりしてしまった感はありましたが、それにしても分からなすぎた。

 

 

次2つ目。時間が短すぎる。

各Part、ある程度時間を決めて解答することを意識していれば、通しで模試・過去問を解く必要は無いだろうと思っていたので、本番が初めてのフル解答でした。

 

時間内に終わらず、最後の3問は塗り絵になりました。

 

会場の時計が2~3分ずれていた(これホント許せん)のでこうなったのですが、どっちにしろ時間がカツカツなのに変わりはありません。

 

みんな読むのどんだけ早いんだよ...

 

 

3つ目。結果を見て思ったことですが、リーディングが低すぎる件。

 

TOEIC受験直後の手応えとしては、

「リスニング全然分からんかったけどリーディング簡単だったな」という印象でした。

 

で、蓋を開けてみたら全然ダメ。どうなってるんだこれ。

 

リスニングはみんなも出来なくて調整でこうなったとかなんですかね。

 

設問別正答率とか見れるのか分からんけど(紙で送られてくるんだっけ?)、内訳がかなり気になります。

 

というか長文に関しては文章の内容がつまらないんじゃ(言い訳)。

 

 

受験直前:噛み合って900点ギリ行ってくれないかなぁー

受験直後:800点行ってないわこれ

結果確認:思ったよりは高かった、わーい

 

って感じになりました。

 

次受けるかは知りませんが、受けるとしたら長文の対策ちゃんとやらんとスコア更新とはならないでしょうね。

 

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発達障害者僕、大学卒業の可能性に震える。ニートへのカウントダウン。

大学を卒業できる発達障害者は何者なのか。

 

発達障害者にとって大学卒業は難しすぎます。

 

ある記事より引用。

日本における大学の卒業率は90%前後だが、日本学生支援機構の令和元年度の調査によると、発達障害のある学生の卒業率は68.3%。調査は4年生まで進級した学生を対象としており、3年生までに退学した学生も含めれば、卒業率はさらに下がるとみられる。

 

個人的に、大学を卒業できるかどうかは環境によるところがかなり大きいと思います。

どこの大学を選ぶかよりも、何を専攻するかが重要です。

 

そういうわけで自分は、自分に最適と思われる環境を探し求め、大学を2回中退し、3度の大学入学を経験する羽目になりました。

 

そして結果どうなったかというと、素晴らしいことに卒業に必要な単位は全部とれそうです。

 

 

1,2年次は正直終わってました。一桁単位しか得単できない学期もありました。

 

しかし、3年の専門課程に入ってから覚醒しました。

 

入学する前から、3年以降の専攻分野を決めていた(厳密には2つで迷ったが)ので、3年進級時においてはカリキュラムを楽しみに思う自分がいました(当然面倒くさいという感情の方が大きくはあったが)。

 

学期のほとんどの講義が専攻分野の講義であり、興味のある話ばかりだったので主体的に受講することができました。

 

環境を変えたことは大正解だったと言えるでしょう。

 

 

ちなみに、単位を取り切れる可能性はどちらかといえば高いですが、4年で卒業できるかは知りません。

 

これまでの経験上、いきなり大学不登校になったりする可能性は余裕であります。

急にすべてどうでもよくなって投げ出すといったことがまた起こり得るかもしれません。

 

また、4年間で単位をすべて取り切れたとしても卒論の壁があります。

今のところ卒論なんて書ける気がしません。

 

4年で必要単位をすべて取りきり、かつ卒論までかきあげている大学生が多数派であるという事実に未だに驚きます。

 

そりゃ社会人できるわな......

 

 

高校の知り合いで発達障害の診断を受けた人が2人いるのですが、彼らはどちらも大学を中退してしまいました。

 

なんとなく自分もそうなるんだろうなぁと思っていたら、(当初の予定よりは)いい感じに来たのでびっくりです。

 

 

大学卒業したらめでたくニートです。ニート生活を楽しみに大学頑張ってます。

 

 

ニートするのになんで大学卒業頑張るん?」とはしばしば聞かれます。

 

もちろん、ここまで来たら卒業したいというやり切り精神はあります。

 

しかし、今まで生きてきて「人生何が起こるか分からない」といったことを嫌というほど味わってきたので、一応大卒資格を取っておこうという気持ちもあります。

 

大卒だから状況が好転するといった機会が訪れる確率というのは”自分の場合は”低そうですが、まぁ一応。

 

 

あとどうでもいいけど京大って自分みたいなのがたくさんいると思ったら、意外とみんなちゃんとしてる。

 

就活もしてるみたい。就活って結局なんなんだ...

 

 

今までにさんざん書いていることですが、あらゆることを諦めると生きやすくなるのです。

自分にも他人にも期待しないことが幸せの閾値を下げることにつながるのです。

 

 

発達障害関係なくなっちゃった。書こうと思ってたこと忘れました。

 

追記

無事四年で卒業しました↓

harunagi.hatenablog.com

 

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メルカリで本を売る人に言いたいたった1つのこと

 

メルカリで本を売る人、頼むから書誌情報の記述 or 写真を載っけてくれ...

 

 

書誌情報とは、本の一番最後のページあたりに書いてある、出版社や出版年や書いてあるアレです。

 

自分が買う本はテキストや問題集が多いのですが、書誌情報を載っけてくれている人が少なすぎてビビります。

 

 

特に大学のテキストは誤植が多かったりします。

 

そういった誤植に関しては大抵、出版社がHPなどで「第x刷/第y版では何ページ目の〇〇を訂正」といったような正誤表を作ってくれています。

 

よって、書誌情報さえ分かればその本の誤植の訂正程度が分かるわけです。

 

しかし、メルカリで売られている本は書誌情報を載っけてくれている人がめちゃくちゃ少ないので、買う前にいちいちコメントをしたりして書誌情報の確認をしなければなりません。

 

 

安く売ってくれているものは即購入したいとは思いますが、大量の誤植が残ったままのバージョンを買うリスクがあるわけでして、またそうしている間に他の人に買われてしまうというのは悲しいもの。

 

奇縁でこのページにやってきたメルカリ出品者の方、本を売るときは是非書誌情報の記述かその部分の写真添付をお願い致します。

 

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